先日、福江島の岐宿で長年、環境問題と伝統技術の継承に取り組む医師・宮崎昭行さんが不意に店を訪ねてきました。
宮崎さんは、福江島でいったん絶滅したとされるニホンミツバチを島に復活させる先陣を切った方で、数年前には、広島から茅葺(かやぶき)屋根の家を一軒丸ごと移築したり、何よりも2人の息子さんをこの国から消えそうな伝統工芸である「桶職人」、「鍛冶屋」として育てあげるという常人離れしたスケールと発想で生きている人物(つまりぶっ飛んでいる)というイメージで見ていました。
Tetobaでは、五島のニホンミツバチが集めた「蒼い森の蜂蜜」や桶職人・宮崎光一さん(三男)の木桶をお店の大切な商品として、取り扱っていますが、なぜ宮崎さんが、そもそもラディカルに環境問題に取り組み、消えゆく伝統工芸を残すことを徹底してライフワークとされているか? 「環境問題」と「伝統工芸」がどのように彼の頭の中でつながっているのか? 実は詳しくお話を聞いたことがありませんでした。
そんな宮崎さんが、手作りの冊子を店にお持ちになられ、「これは現代を生きる若い人たちに理解してもらい、
ネットワークを作っていきたいので渡したい」と仰られ、頂戴することに。
タイトルには「産業革命(大量生産・大量消費)文明の終焉」と書かれていました。
「私が30年間環境エネルギー問題を調べ、20年間伝統技術の継承に取り組み、これから大量生産・大量消費が終焉を迎えようとしていると共に、伝統技術が極めて危機的状況にある事をまとめた文章です。」
・・・と表紙に綴られていました。
論考では、まず、宮崎さんの「環境エネルギー問題」と「伝統技術の継承」というライフワークの発端となった体験から解き明かされていました。
1989年に登山を目的にネパールを訪ねた際、ネパールの外務大臣から「ネパールで幸せとは何かを学んで行って欲しい」と言われたとあります。当時、GNP世界1、2位の日本から最貧国のネパールに来た宮崎さんは、「物質的に豊かな国が幸せな国、貧しい国は不幸な国と考えていた」ので、外務大臣の言うことの意味が理解できなかったと当時の率直な感覚を語ります。
しかしネパールでの滞在を続けるうちに、少しずつ自分の考えは間違っているかもしれないという感覚に襲われます。どんな貧しくても明るい笑顔で「ナマステ」と声をかけてくれる現地の人々、
「ネパールの山岳の人々は電気も石油も水道もなく、薪で生活している。この生活は何百年でも可能である。しかも決して苦しい顔をして生活していない。しかし日本人と同じ生活を世界中の人々がすれば数十年で石油が枯渇して環境も破壊される。日本では毎年3万人以上の自殺者がいる。どちらがまともな生活をしているのか?」
・・・という疑問が脳裏に浮かぶようになったといいます。
日本に帰った彼は、そこから先進国の先進国たる基礎をなす大量生産・大量消費の経済を
支える石油やエネルギーについて徹底的に調べ始めます。
その中には、子供の頃から「石油は数十年で枯渇する」と脅されてきたのに、なぜいつまでたってもなくならないのか?・・・という問いがあります。
それは新しい油田の発見と同時に採掘技術の向上により、いままで埋蔵量の20%しか採掘できなかったものが40%採掘できるようになったりと「延命」を繰り返しているに過ぎないことを突き止めます。
また、人類はエネルギーを生産するために(石油を採掘するために)多大な石油エネルギーを消費するという根本的なジレンマについても深く考察します。
例えば、2000mの海底の岩を強い水圧で砕きシェールオイルを採取するのに必要なエネルギーを想像してみるとわかりやすいかもしれません。
これは根本的に3億年以上かけて自然の力でつくられた石油自体は無料(ただ)ですから、掘削自体に多大なコストがかかってもペイすると考えられているのでしょうか。
そもそもなぜ採掘技術を進化させ無理な採掘を続けるかというと「石油がなくなったら先進国は生活できなくなるからではないでしょうか?」と宮崎さんは問います。
たしかに石油価格が上昇すれば、生活に関わるほぼあらゆるジャンルで値上げがおきます。こんなモノまで石油と関係があるのかと驚かされることは
ニュースなどを見て思うことがあります。
ガソリン価格や運輸・交通分野はもちろんのこと、ハウスで作られる野菜、果物、プラスチック容器を使うあらゆる商品・・・
もはや石油と一切、関係を持たない生活は想像できないと思います。
つまり「先進国の生活」とは、石油に極端に依存した大量生産・大量消費の社会です。
そして論考では、「希望の光」とされる再生可能エネルギーに関しても疑問を投げかけます。
太陽光発電や風力発電は、設備を設置するのに広大な土地を必要とし、そこには環境破壊の問題は隣り合わせです。
エネルギーの質自体にも太陽光や風力と石油とでは大きな差があります。
石油は液体であるため取り出しやすく、エネルギー密度が非常に高いエネルギー源。
いっぽう、太陽光や風力は、「エネルギー密度が低い」エネルギーとされています。
再生可能エネルギーでは、「設備の製造、建設、修理や廃棄にかかるエネルギーコスト」を「設備が生産するエネルギー」が回収する期間(energy payback time:EPT)を算出することで、その効率性を評価します。
しかし、現在の「EPT」の「エネルギーコスト計算」から抜け落ちている要素が数多くあると宮崎さんは指摘します。
例えば、太陽光パネルの原料であるケイ素を取り出す珪石の採掘にかかる重機や建屋、運搬のエネルギー、海外からの輸入にかかるエネルギー、設置する場所とそこに至る道の整地にかかるエネルギーなど、EPTの計算外のエネルギーコストは膨大にあるといいます。
そこから本当に自然エネルギーが「高品質な電気エネルギーを実質的に産生できるとは思えなくなりました」と宮崎さんは述べます。
(もちろんかつては「夢のエネルギー」とされた原発には大量の放射性廃棄物と廃炉のコスト、また生活圏を一気に荒廃させる事故の危険性から将来性がないことは間違いありません)
結局、「石油に代わるエネルギーが明確で無い事、大量消費で資源の枯渇が免れない事、大量の廃棄物も考慮すれば、完全な循環型社会と思える薪や植物油などを燃料とし、手作業で製品を造り、生活用具を再利用し、ごみが殆どない江戸時代の技術を残す必要があります」
・・・と宮崎さんは結論づけます。この発想の転換はものすごくラディカルです。そこから実際に無農薬での牛耕を使った稲作や炭焼技術の習得等の江戸時代からの生活技術を通して、いかに石油エネルギーに頼らない生活が可能かを自ら実践されてきていることには畏敬の念しか覚えません。
その後、「桶」「鍛冶」「たたら製鉄」「炭焼」「鋸の目立て」等、日本から消えゆく伝統工芸について検討がなされ、
その中で、長崎県最後の桶職人のもとに三男の光一さんを修行に出し、桶職人になることを決意させる過程や、桶などの伝統工芸を残すためにはカンナやノコギリなどの刃物を作る「鍛冶職人」を絶やしてはいけないという理由で次男の春生さんに鍛冶職人になることを説得し、修行先を見つける過程などが詳細に描かれていきます。
伝統工芸の世界では、「自らの生計が立てられなくなると弟子をとることをやめる」。弟子をとらなくなることでその伝統工芸は消えてなくなる・・・という職人の世界の不文律があることも説明されていて非常に勉強になります。
さて、ここまでの宮崎さんの議論を整理すると
①大量生産・大量消費の基礎には石油エネルギーがある
②石油エネルギーはいつかは枯渇する。それに代替可能な高品質のエネルギー生産技術はいまのところない
③大量生産・大量消費が世界にはびこり、日本からは手仕事や伝統技術が失われていく
④伝統技術が失われれば、石油が枯渇した世界で人々は豊かに生きる術を失ってしまう
⑤だから今のうちに伝統技術を継承し、また、石油に極端に依存しない生活と社会を取り戻そう
・・・と、少し乱暴にまとめてみました。
そして、そもそも「大量生産・大量消費」の世界では、人々は幸福になることは難しいという前提が宮崎さんの中ではあります。
それは度々、出てくるマハトマ・ガンジーの言葉の引用からも明確であり、冒頭では「産業革命によってもたらされた機械化による大量生産は、少数の人間が大多数の人間を踏みつけにして栄えるのを助けているに過ぎない、これらすべての背後にある動機は、労働を軽減しようとする博愛ではなく、欲望です」
・・・という言葉。ガンジーの非暴力・不服従によるイギリスからの独立運動の象徴は「糸車」ですが、ガンジーは「イギリスが産業革命で大量の安価な綿製品を作り、インド人がそれを買ったから、インドが貧しくなり植民地になったのである。」そして全ての人が再び、糸を紡ぐことが「正しくこれが真の大量生産」との言葉を紹介しています。
このあたりの言及や思想はとくに私たちtetobaの活動精神が共感する部分です。
私たちの場合は、大量生産・大量消費が完成された社会に産声をあげていますから、そもそもモノにあふれている社会というのが前提にあり、
「モノや便利さが増えていくことによって生活が豊かになる」という信仰や欲望というものが希薄な世代に思われます。
差異がいまいちわからない商品を脊椎反射的に買い替えさせて、誘導されている社会。「拡大・成長」が前提とされ、それが自己目的化していく世界への違和感。便利さと仮想空間でのつながりは進化し続けるのに、心の孤立感は増幅していく社会。
世界や環境との結びつきや人と人との温度感のある繋がりが失われていき、
生きていること自体に疑問を感じられていく世界。
「幸福から取り残されていく社会」・・・
そういったものへの危機感が私たちにはあります。
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