こんばんは。marieです。
認知症
この病気について、私はお恥ずかしながらつい最近まで
あまり深く考えたことがありませんでした。
私の両親は五島出身のため、まだ父方の両親、つまり私の祖父母は五島に健在です。
ですが、90歳も近くなってきた近頃、祖父のほうに認知症の気がみえてきました。
まだ私は間近で介護している身ではないので可愛いもんだと思ってしまうのですが
何かあるたびに駆けつけてくれている伯母からすると気が気でない問題かと思います。
私自身、いつか私のこともわからなくなってしまうのではと、
急に怖くなったのも事実です。
私が五島に来た頃は母方の祖母も生きていました。
ただ、私のことは全くわからない認知症となってしまっていました。
小さい頃大好きだったおばあちゃん。初めて五島に1人で来た時にべったりくっついていた
おばあちゃんにまさか自分のことがわからない時が来るとは。
悲しいのですが、この認知症、誰もがいずれ直面する病です。
祖父の認知症の気を強く感じたきっかけは
私が父と祖父のアルバムを3〜4日借りてでた間ずっと私が「盗っていった」という表現をし、祖母に当たり散らしているということでした。
もちろん盗っていくというわけではなく、祖母に許可を得て借りたものだったのですが
祖父はカンカン。
でも私が持っていくと「まだ見てないんだったら見ればいいじゃないか」と(言葉がうまくでないのでこんなにはっきりとは言っていませんが)
その時、祖母が涙目で「こんなじいさんでもたった1人のじいさんじゃけん、可愛がってくれよぉ」と。
その言葉と祖母の顔が私の頭から離れませんでした。
うちの祖父母は、五島の富江町の山下地区の奥、本当に山の下に住んでいて
他の集落とも離れているため1日中祖父母しかいない空間で
過ごしています。
五島では高齢者の方の割合がとっても多いので、このような問題をいろいろな方々が抱えていると思います。
私自身は、自分の祖父の認知症が進んでいることを改めて気づかされ、自分ごととして考えるようになりました。
そんな時、去年、地域おこし協力隊として、着任した
「認知症カフェ」担当、田代さんを思い出しました。
まだ着任してまも無い頃、挨拶に来てくれていたのです。
その時のわたしは「認知症カフェ」というものが一体どういったものか
全くわからず、そもそも認知症というものにピンと来ていなかったのが正直なお話です。
でも今、祖父の認知症が進行していて
私にできることはないのかな?
と
改めて「認知症カフェ」について
考えるようになり、さっそく現役協力隊の田代さんにお話を伺いました。
te to baは、現在カフェとして運営しているし、認知症の方々に実際に使っていただける空間にできないかと相談してみました。
全国の例や、これからの取り組みなどをお伺いし、何かしらの形で私たちも認知症カフェに携わらせていただきたいとお話させてもらいました。
ただ全く知識があるわけでもないので、田代さんとお話をしていておすすめしていただいた本を買ってみたり、今度五島市内で開催される認知症カフェ第一弾に訪問したりしようとしているところです。
写真は、届いたばかりの本たち。
まだ序章くらいしか読めていませんが、企画・運営マニュアルがとてもわかりやすいです(こちらが田代さんおすすめの本)
誰もが直面する病だからこそ、認知症になっても安心して暮らせる地域になったら安心して過ごしていけますよね。
今、五島はバブルか!?というぐらいに移住者が増えたり、新しいホテルや飲食店などができとっても楽しくなってきています。
だからこそ、ここの地に住んできた高齢者の方々ともっともっとお話する機会を設けたり、
私たち自身の老後のためにも高齢者の方々の今が少しでも住みやすくなるように、自分ができることをやってみたいなと感じました。
認知症になっても安心して暮らせる地域づくりはその地域に住んでいるみんなでできたら良いですよね。
ちなみに!もちろん五島は福祉施設なども充実していて
うちの祖父母のところにも週1回、サポートしてくださる方がきてくださいます。
新しい施設なんかもできていくみたいでどんどん充実していくようですし決して現状のサポートが無いとかそういうわけではないんです。
でもいずれ、介護費や医療費の制度そのものが崩壊してしまうかもしれない・・・という恐怖を感じずにもいられません。
お店をはじめて2年目。
資金があるというわけでもないので
小さなできることを少しづつ。
やがて大きなコトになりますように。
ではでは、
今日のブログはこの辺で。