• kei umezawa

魚を釣る




先日、初めてヒラスズキを釣る。

50cmと小ぶりだが、最初はこれで十分。

基本的には、釣り人の力量に応じて魚のほうもルアーを選んでるんじゃないかと

思っている。

五島の磯からは、マダイやヒラマサ、ブリなどの大物が普通に狙えてしまう。

去年の春、コロナ禍で緊急事態宣言が出されてから、来島者が劇的に減って

ハイシーズンが消えた。それでぽっかり時間だけが生まれた。

それまでバタバタと我を忘れてお店に集中せざるを得ない状況が変わった。

五島にいるのに、五島でしかできない遊びも知らず、2年以上たってしまっていた。

そして釣りをはじめた。

最初は堤防からルアーを落とすと、いとも簡単にカサゴが釣れるのが楽しかった。

自分のような素人でも魚は釣れてくれるのだと感動した。

慣れてくるともう少し大きな魚も釣ってみたくなった。

行ったことのない磯に初めて行ってみた。

切り立った巨大な岩からおそるおそるルアーを投げると何か大きな魚がガボっとルアーをひったくった。

なんだかよくわからないが、逃れようと水中で必死で暴れる魚とヒーヒー言いながら張り合っていた。

しばらくすると赤くきらめく魚体が浮いてきた。

マダイだった。

衝撃的だった。

それから磯でヒラマサやブリなどの青物と呼ばれる大物を狙うことにハマっていく。

いわゆる「ロックショアゲーム」というやつだ。

脳がより強い刺激を求めるようになってしまうのだ。

・・・かと言って、いつも釣れるかといったら、そんなことはく、総合すると圧倒的に

何も釣れない日のほうが多い。

それでもなぜ磯に通い続けてしまうかというと、磯があまりに魅力的な場所だからだと思う。

大自然とあまりに弱々しい人間がぽつんと一人。

海は刻一刻と表情を変えて、さっきまで穏やかだった海が突然、荒々しく暴れだす。

気を抜いているといつ襲ってくるかわからない自然は、人間に対して五感をフル活用することを求める。

磯は「怖い」とか「心細い」と感じてる時間のほうが、楽しい時間より圧倒的に長い。

何十回同じ場所に通っても海が同じ状況であることが一度もない。

「こわいから行く」・・・という矛盾した感情が人間ってあると思う。

山登りもそんな感じで、自分の中の恐怖心と向き合って冷静に状況に向き合わないかぎりは

頂上にたどりつけない。

冒頭のヒラスズキ釣りはその最たるもので、わざわざ荒れて波しぶきを上げる磯に通って

波をかぶりながら釣るのである。

一年前にベテランさんに初めてヒラスズキ釣りに連れられて行ったときは、クレイジーだとしか思わなかった。

今でもクレイジーだとは思うが(笑)。

ヒラスズキを釣ろうという想いには、あの恐ろしい荒れた海への恐怖心を克服したいという

思いが強い。

ただ恐怖心におびえている状態では何も釣れない。

恐れ過ぎて波打ち際から離れれば、魚がいる場所にはルアーは届かない。

前に出過ぎれば波に流される。

ベテランさんは、刻一刻と変化する海の状況を観察し、

どこらへんに魚が潜んでいるか、海の中の状況、どこに立てば安全で、どこからが危険か?・・・といったことを

判断している。冷静に。

自分もそういう風に自然を観察できる目を持ちたい。いつかは魚の気持ちがわかるようになりたい。

そうすれば世界はまた違った風景を見せてくれるだろう。

・・・そんな風に思った。

魚を釣るということは、その過程において、「自分の弱さ」や「観察力」、「判断力」をいつも問い直す。

とても奥深い世界だと思う。

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