top of page
  • 執筆者の写真te to ba <手と場>

キリシタン洞窟に響く声 <桃源紀行 no.8>


・・・

10月に放送予定のNHK BS プレミアム 「桃源紀行」のロケを通じて経験させてもらったこと

改めて知ることができたことを私なりに少しづつまとめています。

まだまだ完成しない備忘録ですが

やっと折り返しのような気がします。。

・・・

ロケが開始して初めて船にのり、別の島へ。

中通り島へと渡りました。

福江島からジェットフォイルに乗り、30分後には奈良尾港につき

レンタカーを借りて、

今回の旅で私がお会いする事に、最も緊張していた

キリシタン洞窟へとご案内してくださる

坂井さんの元へ向かいました。

・・・

「カクレキリシタン」

歴史の教科書に書いてあったのを覚えています。

歴史の先生が授業中に「五島とか有名だね」と言っていたことも覚えています。

でもその時は深く考えることもなく、

ただ、江戸時代の禁教時に隠れてキリスト教を信仰していた人々のことだと思っていました。

しかしこのロケをきっかけに、いろいろな文献を読んだり聞いたりすることになり

自分の知識の浅さを恥じることになりました。

・・・

坂井さんの住む集落は桐教会の少し奥。

天気がとってもよく見えていますが、実はこれは翌日の写真で、

初めて坂井さんにお会いした時は

ロケ中初めてのあいにくのお天気でした。


坂井さんは「カクレキリシタン」の張方をされている方で、

お電話で予約した方にキリシタン洞窟のご案内もしてくださっています。

坂井さんがどんな方か、事前に坂井さんに会われていたディレクターさんも

詳しいことは私に伝えず、ドキドキのままお会いしました。

とにかく緊張していた私の目をみて優しくお声かけくださる坂井さんに

一瞬で心が奪われた記憶があります。

目の綺麗な、とても優しいお話をされる方でした。

簡単に挨拶を済ませた後、早速船に乗りキリシタン洞窟へ向かいます。

途中、桐教会の目の前の入江をゆっくりと通って下さりました。

あいにくのお天気だったにもかかわらず透明度が高く

本当に美しい海が桐教会の目の前に広がっています。


(写真は翌日のもの)

ずっと緊張していましたが、この時は少し心が晴れやかになり

とても美しい光景を楽しんでいました。

しかし、入江を抜け、外海へ差し掛かると雰囲気は一変します。

荒々しい波。

船に決して強くない私は恐怖すら感じる波の威力を感じながら

しばらく進みました。

そしてしばらくすると、坂井さんが船を止めて

岩と岩の間にできた穴の話をしてくださいました。

ハリノメンドと呼ばれる侵食洞のこと。

長い時間をかけて波が侵食しできた穴。

それが幼子イエス様を抱いた聖母マリア様に見えるのです。

船に乗り込んでからずっとカメラが回っていたため写真が取れていないのが残念ですが

本当に、本当に聖母マリア様に見えるのです。

「地元の方々はみなさんマリア様と呼ぶんです」と、

坂井さんがご説明してくださいました。

そしてマリア様を超えると割とすぐに

真っ白な大きな十字架とイエスキリスト像が見えてきました。


遠くからでもくっきり見えます。

坂井さんが

「上陸、してみますか?」

とお声かけくださりいざ上陸へ。

坂井さんは船を見ていなくてはいけないため

私は一人で上陸しました(もちろん撮影クルーもですが)

上陸する前に

イエス様の裏には、洞窟があり

そこに、迫害を逃れて逃げてきた家族が4ヶ月間暮らしていたが、

炊事の煙が立っているのが見つかり通報され、厳しい弾圧を受けたとことを聞きました。

坂井さんは

「イエス様の裏の洞窟に、何かがかかっていた痕跡があるから見てきてください。」

と優しく教えてくださいました。

上陸する際、撮影クルーの皆さんはカメラに写ってはいけないので

私は、屁っ放り腰になりながらどうにか上陸。



本当に断崖絶壁。

ここ・・・歩けるの?と不安になりながら、足場を見つけつつ歩きます。


近くで見た十字架とイエスキリスト像はやはり大きく凛としていました。

そしてその横に、暗い洞窟が見えてきました。

洞窟の奥には穴が空いており、光が差し込んでいます。

この時、自分でもよくわからないくらいに胸が締め付けられる思いを感じながら

中へと入って行きました。


坂井さんがおっしゃっていた”何かがかかっていた跡”は

しばらく進むとすぐわかりました。

硬い岩場のはずですが、くっきりと何か銅板のようなものがかかっていた跡が見えます。


私はこれを見つけたあとから

この場所、キリシタン洞窟の場所の本当の存在意味を理解した気がしました。

ここは、禁教期に迫害を逃れて逃げてきた3家族が暮らしていた場所。

決して広くはありません。岩だらけでどのようにして寝ていたのかなど想像もできませんでした。

そんな苦しい中、「ハリノメンド」マリア様の近くにある洞窟で

洞窟内にもマリア様の銅板のようなものを飾り、お祈りをしていたのだと思います。

信仰を守り、必死に逃げ洞窟の中でお祈りしていた人々。

その姿はきっときっと美しかったと思うのです。

入った方と反対側の穴からも光が差し込み、

なんとも言えない空気を感じさせるこの洞窟内で

家族や仲間の無事などをお祈りしていたのだと思います。

そんなことを考えたら、自然と涙が溢れてきました。

なぜ、迫害されなければならなかったのか。

神様を信じ、お祈りをしていただけなのに。

4ヶ月間という長い間、どれだけ不安を感じたでしょうか。

もう少し奥へと進むと、少しだけ広くなっていました。

しかしそこは外から波が打ち付ける音が大きく響いていて

さらに、坂井さんが船を動かしている音なども響いてきました。

私はそれ以上奥へいくことができませんでした。

波の音が声のように聞こえ、

苦しかったこと、怖かったことを伝えてくれている気がしました。

4ヶ月間、いつ見つかるかという恐怖と隣り合わせ。

船が通る音がこれだけ響くのであれば

本当に怖かったと思います。

そもそもこの時代、今のような立派な船はありません。

この洞窟にも木でできた船でたどり着いたとのこと。

命がけで逃げてきて

密かにお祈りを続けた場所です。

この場所の空気は今まで行った教会とは全く違う空気でした。

身体全体でその空気を感じ、

その場を離れる時も、何か重たいものをぐっと抱えているような・・・

そんな気分のまま洞窟を離れました。

洞窟でかなりの時間を使ってしまったため

坂井さんをだいぶお待たせしてしまいましたが、

船へと戻りました。

坂井さんは、変わらず優しい顔で迎えてくれました。

そして、その岸壁をすこし離れ、キリスト像が見えるところから

坂井さんと改めてお話をすることに。

坂井さんは、カクレキリシタンの張方という神父様のような役割をされていて

信者の方のためにお祈りを捧げます。

「わたしたちは約400年前から信仰を続けています」

坂井さんは、先祖のお話をされる際

「わたしたち」とおっしゃいました。

ごく自然に坂井さんからでる言葉です。

まるで時空を超えてきたかのような。

その「わたしたち」という言葉から坂井さんが背負われる先祖たちの想いや

今現在の信者の方々の想いの重さを感じました。

私は坂井さんに出会うまでずっとカクレキリシタンというものを誤解していたことに

気づいていませんでした。

「なぜ、教会にいかないのか」

と単純すぎる質問にも優しく答えてくださいました。

坂井さんの目の色は少し緑がかっていて吸い寄せられるような目力を持っていらっしゃいます。

そんな目で、しっかり私を見ながら答えてくださいます。

「キリスト教とは違った宗教なんですよ。わたしたちには独自のお祈りがあるんです」

坂井さんは船の操縦室から

カクレキリシタンの方々にとってのお祈り、オラショが書かれたノートを持ってきてくださいました。

いろいろなお祈りが、カタカナで手書きで書かれていました。

その中のひとつをゆっくりと坂井さんは読んでくださいました。

何を意味している言葉かは決してわかりません。

けれど、それは紛れもなくお祈りであり

カクレキリシタンの方々が守り続けてきたものでした。

船の上でお話をしていると

曇っていた空から雨が少しづつ強くなるのと同時に、

波が高くなってきました。

そこで一旦撮影を止め、港へと坂井さんが急いで船を回してくださいました。

戻る途中には雨はかなり激しく変わり、

私は船酔いも少ししてしまい、室内へ入ることができなかったので

びっしょびしょに。

船も大きく揺れたため、途中、恐怖で泣きながら

波止につくまで必死に船にしがみついていました。

波止についた頃には、濡れ鼠となってしまったため、撮影は続行不可。

坂井さんとクルーのみなさんがお話されている最中、

真夏にもかかわらず、暖房を入れた車で待機させてもらいました。

その後、ホテルに一旦向かいチェックイン時間前だったので、

お手洗いで着替えるだけ着替え、五島うどん屋さんへ。

翌日にお伺いする予定だった枡田製麵さんのおうどん。

暖かいうどんが身にしみました。

あとはちょっと不思議な雰囲気を持つカフェにもお伺いしたり。

雨がいよいよ本降りになってしまったので撮影は一旦おやすみに。

ホテルにチェックインのあとはみなさんそれぞれ休憩をしたのですが

私は、午前中の坂井さんのお話がとても印象深く

自分の中で整理できずにいたため、眠ることもできませんでした。

夜にはクルーの皆さんと一緒に

居酒屋「よかよ」さんへ。

新上五島の協力隊の章さん・紗苗ちゃんおすすめのお店で

本当に美味しかった。

なによりクルーの皆さんといろいろお話して勇気付けてもらいました。

今回の撮影は私で良かったのかという不安をずっと持ち続けていたのですが

このクルーの皆さんとお会いできて今までずっと経験できなかったことを経験させてもらいました。

とっても美味しいお料理とお酒を楽しみながら夜の部を終えました。

しかしこの日の経験は、今でもぐーっと重たく私にのしかかっています。

悪い意味ではありません。

自分で消化仕切れていなかったのです。

編集を進めるディレクターさんから事実確認の電話をもらう度に

私も改めて調べなおしたり、お聞きしたりしているうちに少しづつ少しづつ

潜伏キリシタンやカクレキリシタンの違いについて理解を深めていっています。

それでもまだまだ足りません。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」

世界文化遺産候補になっており、来年の夏にはいよいよ登録されそうです。

世界遺産登録まで、暫定一覧表に登録されてからすでに10年が経っており

多くの方がいろいろな働きをして登録を目指しています。

世界遺産に登録されることで五島に訪れる方が増え、

いろいろな経済効果をもたらしたり、

教会たちを保護することにつなげることができるかもしれません。

決して反対なんていうことはないのですが、少し複雑な想いも持っています。

私は五島にきて3年目にもかかわらず詳しいことを知らずに過ごしていて、

キリシタン洞窟に行く前の緊張感は

「何も知らない私が行っていい場所ではない」

という恐怖にも似た感情でした。

しかし行ってみて、坂井さんとお話をして

もっと知らなくてはいけない

と強く強く感じました。

同時に多くの方に、

特に「世界遺産」としての教会を巡ってみたいと考えている方に

この島々にどういった歴史があったのかと

その歴史とともに今歩んでいる人がいることを知ってもらいたいと思いました。

キリシタン洞窟や坂井さんのお話は、桃源紀行の番組の中でもかなり大きな意味を持つ

シーンになったのではないかと思います。

ただ30分の番組で、ご紹介するのはここだけではないため

ぎゅーっと濃縮されているはずです。

このブログでも私の文章では伝えきれませんでした。

ぜひ自分の目で見て、感じて欲しい場所です。

ただ、ここキリシタン洞窟は観光地ではありません。

当時の声が聞こえる場です。

あくまで私の個人的な意見ですが

軽い気持ちで行くのではなく、ここがどういった場所か

少しでもわかろうと思いながら足を踏み入れて欲しいです。

私ももう一度訪れたいと思っていますが

その時に変わらず

声が聞こえる空気感のままであって欲しいと思います。

やっと、ここまで書くことができました。

この経験と翌日に行った頭ケ島での経験は

絶対に忘れたくない経験です。

桃源紀行の番組でどのように編集されているのか

私はまだ知りませんが、映像にあの経験を残すことができて

本当に本当に良かったです。

では、また次のブログにて。

・・・

最新記事

すべて表示
bottom of page