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Untitled 備忘録。 <桃源紀行 no.9>

  • 執筆者の写真: te to ba <手と場>
    te to ba <手と場>
  • 2017年9月17日
  • 読了時間: 10分

・・・

10月に放送予定のNHK BS プレミアム 「桃源紀行」のロケを通じて経験させてもらったこと

改めて知ることができたことを私なりに少しづつまとめています。

一昨日、ディレクターさんが編集を終えられたとのこと。

あらら・・・私のブログの方が追いついていません。

なんだか1人残され寂しいけれど、忘れたくないことをひたすら備忘録として残していきます。

・・・

前日の大雨はなんだったのでしょうか・・・

ものすごい晴天に恵まれました。


引き続き新上五島でのロケが続きます。

上五島は、福江島とはまた違った空気を感じます。

もっと力を感じるんです。

福江島は農地も豊富でお野菜もたくさん。お米だって取れます。

けれど上五島は山々が連なり、平地は少なく

昔から苦労が多かったようです。

そんなことから力を感じるのかもしれません。

・・・

話はそれますが、五島列島の中で新上五島町には、現在29の教会堂があります。

もともとは35もあったそう。

福江島より多いのです。

現在のキリスト教徒の数も、住人の4人に1人。

「なんでなんだろうね」

そんなディレクターから質問を受けてから

いろいろと調べましたが

一番しっくりきた理由は、

や「住みづらい場所だったから」という理由。

18世紀長崎・大村藩の外海から五島へと渡った潜伏キリシタンたち。

その数約3000人。

彼らは深刻な農地不足などのため長男以外の子どもを殺さなければいけないという

大村藩の人口抑制策に対し、

五島への移住に夢を持って来たのだといいます。

しかし、実際に五島へ来てみると

住みやすい土地にはすでに地元の人たちが住んでいて、

移住者である彼らに住める場所がなかった。

潜伏キリシタンであり仏教徒を偽装しながらでも

信仰を守りたかった彼らは、

地元の人が住んでいない「住みづらい場所」に住むことを余儀無くされたのでしょう。

上五島は険しい山々が連なっており

「険しすぎて取り締まりすらできなかった地域もある」

「五島藩・平戸藩が入り乱れた領土だったので、それぞれの取り締まりの度に取り締まる藩とは違う領土へ逃げ込んでいた」

そんなお話が今でも伝えられているといいます。

そして、禁教が解かれた後に、

カトリックの方々は、自らの神に祈りを捧げるため、

ミサに授かる喜びを分かち合うため、

教会を作っていったのでしょう。

道の険しかった上五島では、教会にいくまで何時間も山道を行き来しなければいけない。

そんなことからも多くの教会がある理由が伺えます。

今回のロケでも、頭ケ島天主堂を訪れましたが頭ケ島天主堂以外にも

とても美しい教会が多く点在しています。

全部を回りたいと考えると2泊3日くらいあったほうがよいかもしれません。

・・・

頭ケ島天主堂は、世界遺産登録を間近に控え

十分な駐車場スペースがないことから、空港に車を止め、バスに乗って向かうそう。

今回はロケのため特別に車を教会近くの駐車場まで入れさせてもらいました。

頭ケ島に入って、上から見えてくる頭ケ島天主堂。


なんだかヨーロッパの物語にでてきそうな可愛らしさです。

この日は本当にお天気が良かったです。

まず撮影クルーの皆さんは外観撮影へ。


駐車場に車を止める前に、教会の目の前にあるギャラリーの前を通るのですが

以前この教会に来た時は閉まっていました。

しかし、この日は開いていたのです。

車を止めて「外観撮影だから、車にいて良いよ」と言われたものの、

ギャラリーが気になって仕方が無く、

ディレクターさんの許可をもらいギャラリーへ1人、向かいました。

教会側から撮影したギャラリー。奥に見えるグレーの建物です。


ギャラリーの名前は、

ギャラリーアンジュさん。

中に入ると奥から男性の方が「おはようございます」と挨拶してくださいました。

素敵な陶器が並んでいました。

ひとつひとつが美しい形をしていて

どれか購入したいなとゆっくり眺めていると

お店の方がお話かけてくださり

彼が撮影したipadの写真を見せてくださいました。

いろんな夕焼けの写真や雲の写真です。

もともと私も雲が好きだったので美しい写真を見せてもらい

本当に感動していました。

その中でひとつ、まるで今にも天使が降りてきそうな写真があったので

思わず声に出してしまいました。

そんな私を見て、いていろいろとお話ししてくださるギャラリーアンジュの店主さん。

2Fにも素敵な写真があると、2Fも案内してくださいました。

そこには精霊が写る写真や、天使が写る写真が飾られていました。

窓からは頭ケ島天主堂が綺麗に見えます。

場所の空気なのでしょうか。

すごく神秘的な場所でした。

また店主の方のお話方が優しく暖かく

ロケ中であることを忘れてお話し込んでしまいました。

ふっと窓に視線を戻すと

ディレクターさんの姿が。

ギャラリーアンジュさんはこの2〜3日で私のような人間がくることを感じていた

そんな風におっしゃってくださいました。

そして最後に

「この島、そしてこの世界が今大きく変わろうとしています。けれど周りの言葉に惑わされず、あなたはあなたのままでいてください。」

こんな言葉を声かけてくれました。

ふわっと身体が軽くなり

撮影クルーの皆さんの元へ。

あと少しで外観撮影が終わるところでしたので私も何気無く空を見上げながら

撮影をしていました。


この時、すごい速さで縦に動く薄い雲に目を奪われていたのですが

数分の間に頭ケ島天主堂の上の雲がこんな形に。


大天使に・・・見えませんか。

夢中で空を見ていたら

「今のテンションのままで撮影入って〜」

とディレクターさんの声がしました。

そして撮影が始まり、撮影中に撮った写真がこちら。


天使はいなくなってしまいましたが、綺麗な天主堂がそこにあります。

石造りの教会です。

信徒の方々が近隣の海岸から産出される砂岩を運び上げ作り上げたとのこと。


この教会は外から見ると男性的・中は女性的と表現されることが多いそうですが、

私にはこの石は硬いけれど、柔らかい表情をしているように見えます。

触れてみてもそうなのです。あったかく柔らかい感じがするのです。

長い年月をかけ完成させた信徒たちの想いがそんな優しい表情を作り出したのかもしれません。

海風に当たって角が取れた岩がそう見せてくれます。

教会の外にはちょっと気になったものもありました。


お水と掘られた石と、剣山?のようなものたち。

なんだろう・・・と思いながらもロケは続行します。

・・・

頭ケ島天主堂のすぐ先には

キリシタン墓地があります。

美しい海の目の前に。


透き通る海。


本当に綺麗でした。

奥の防波堤には、おそらく姉弟の2人が

海へ飛びこむ遊びをしていました。

墓地の前は、まるでここが世界遺産に登録されることなんて知らないよ

というようにゆっくりした空気が流れていました。

この時は8月の後半でまだまだ観光客も多いシーズンだったはず。

けれど、私たちと、この子どもたち、そして交通整理のおじさんくらいしか人は見当たりません。

またそう遠くないうちに訪れたいと思います。

・・・

この日は、上五島から福江島に戻る日。

夕方の船の時間まで、あまり時間もありません。

しかしこの後、もう1度キリシタン洞窟へ案内してくださった坂井さんの元へ。

昨日撮影した絵の中でもう少しだけ撮りたい映像があったので

もう一度だけお時間をいただきました。

前日の撮影ではびしょ濡れになり、きちんとご挨拶もできなかったので

もう一度お会いできてよかった。

坂井さんと私の撮影の後には

少しだけお話しする時間があったのでお話をしていると

坂井さんは少しだけ戸惑っているようにも

不安そうにも見えました。

本来カクレキリシタンの信仰は、ひっそりと守られていたもので、

今回のように取材されることに少し葛藤があったようです。

坂井さんには息子さんがいらっしゃり、息子さんが張方を引き継がれたら

表に出ることは、無くなるだろうと坂井さんはおっしゃいます。

すごく、すごく複雑な気分になりました。

信仰を守っている方々からしたら

他人に見せるものではないのかもしれません。

けれど人口が減りゆくこの島で、この集落で、

ひっそりと守られてきた信仰

坂井さんの「わたしたち」の物語。

そういったことが、誰にも語られず

いつか無くなってしまうのではないのか

外は暑く、太陽の光も夏そのもので汗をかきながら

そんなことを考えていたら、撮影クルーによる外観の撮影は終わっていました。

私一人、知ったとしても

または他の誰かが知ったとしても

守り抜いてきた「坂井さんたち」は幸せになるのでしょうか。

わかりません。

今回の「桃源紀行」でとても大切な意味をもつキリシタン洞窟とカクレキリシタンの坂井さんについて

私自身もその番組に携わった一人として、

語ってくれた坂井さんや

信仰を守り抜く他のカクレキリシタンの方々が

少しでも意味のある放送だったと思ってもらえないだろうかと

切に願います。

できればやりっぱなしにせず

もう一度訪れて、お話をしたいと思う。

坂井さんは移住者・よそもんもどんどん来てほしいとおっしゃいました。

それは坂井さん自身も実は移住者だからかもしれません。

カクレキリシタンは奥様側の宗教だったのです。

それでも坂井さんにとって、ごく自然に「わたしたち」という言葉が出るのは

移住者としてよそもんとして、外のものを取り入れようとするのではなく

その地に住む者としてその地を守ってきた人々を尊敬して生きているからではないでしょうか。

この姿勢は五島に移住してきた私にとっても

とても共感するものがあります。

五島に来て、移住者が

五島のこれがダメだ、あれがダメだ。こう変えてやる。

こんな声をよく聞きます。

私はこんな言葉に少し違和感を覚えます。

それは私が都会にいた時に「負けた」という認識を持っていて

その後にこの島に来たからかもしれません。

私は、何もできないんです。

そんな中、いろんな方が手を差し伸べてくれるから

生きていける。

家族のように接してくれる人たちがたくさんいます。

ここに住んでみて気づいたことがいっぱいあります。

住んでみて、そこにある暮らしの素晴らしさに目を向けると

見たこともない世界が広がっています。

島の人にとっては当たり前すぎて気づいていないことかもしれませんが

私にとっては美しい・素晴らしい・素敵だと思うことがたくさんありました。

そういったことを100%習得することはできなくても

一緒に経験していきたい。

私は今、旅をしている途中なのかもしれません。

まだ私は、この地に住む人ではなく来島者かもしれません。

ここに「永住する」という言葉にはちょっとアレルギー反応を起こしてしまう。

けれど、少なくともここは戻ってくる場所であってほしいし、

今ある美しいものが無くならないようにしたい。

私はその美しいもの・素敵なものに癒されてきたから。

そのためにできることをやっていかなければいけないです。

キリシタン洞窟の坂井さんは葛藤しながらも

今回の桃源紀行の出演をOKしてくださり、

守ってきたものを外に伝えてくれました。

今彼にできることを精一杯してくれたように感じます。

すごく難しいのですが、先にも述べたように

今回の「桃源紀行」が他のカクレキリシタンの方々にとっても

意味のあるものになったら良いのですが・・・。

もしかしたら今回は時間が足りなさすぎたかもしれません。

とにかくミーハーな心で向き合っているわけではなく

真剣に向きあってきましたが

まだわかりません。

もっと時間が必要。

焦らないで、もう少し自分が納得のいくよう

向き合っていきたいと思います。

・・・

今回のブログがここまで長くなるとは書き始めた時は

思ってませんでした。

ブログを書いているうちに、

頭が整理され答えが出てくることが多いのですが

今回は答えがでないことが答えでした。

・・・

この日、撮影クルーのみなさんと一緒に

福江島に戻りました。

港で大きい缶のビールを与えてもらい

ふわふわしたまま福江島に戻った時には

若干の酔っ払いになっていましたが

次の日も撮影です。

次の日は撮影クルーのみなさんをとにかく疲弊させてしまう日になってしまいました。

そのお話はまた別のブログで。

・・・


・・・

この日は2017年8月22日の上五島。

暑かったなー。

もう1ヶ月近く前のことになってしまったのに、

まだ覚えていてよかった。

備忘録として、今後も自分で読み返して行きたいと思います。

・・・

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​©te to ba <手と場> 2018

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